フィギュアスケート

羽生結弦選手が東日本大震災の「news every. 特別版」にVTRで登場

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2018年3月11日、つまり東日本大震災からちょうど7年の日の日本テレビ系「news every. 特別版」に、羽生結弦選手が幾つものVTRで登場した。

ファンにとっては常識だが、羽生選手は16歳だった2011年3月11日の東日本大震災の当日に地元・仙台のスケートリンクで練習中に被災し、家族4人での避難所生活を余儀なくされた。

ちなみに家族は、現在公立中学校の校長職にある父と、カナダ・トロントで羽生選手のサポートのため同居している母と、フィギュアスケート経験者の姉だ。フィギュアスケートはかなりお金のかかるスポーツだが、羽生選手が育ったのは、サラリーマン家庭だった。

避難所で見上げた星空が「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」につながる

被災した当時、避難した学校で夜に見上げた星空が、羽生選手が先月の平昌五輪のエキシビションでの使用曲「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」の選曲につながった。

羽生選手は被災当時の星空を見た時の気持ちを、「満天の星空っていうか。僕らは真っ暗な状態で、全然立ち直れなかったにもかかわらず、その星がすごい輝いていたから、何か希望の光じゃないですけど、そういうことは感じていました」と振り返っている。

震災でホームリンクでの練習ができなくなったが、その後、将来を嘱望されていた羽生選手は、新横浜のスケートリンクで練習を再開できた。しかし当時の羽生選手は、「被災地にまだいる人たちに対して、本当に申し訳ないと思いました」と、負い目のようなものを感じていた。

2014年のソチ五輪で金メダルを獲得した後、羽生選手が2015年6月に福島県いわき市の仮設住宅を訪問した際のVTR映像も流れた。裁縫教室の老婦人たちから、物静かながらも歓迎を受けていた。

今回の平昌五輪のエキシビションの「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」の飛び立つ白鳥の演技では、羽生選手は被災地が少しでも明るくなるように思って、演技をしたそうだ。エキシビションの映像と共に、羽生選手が番組を通じて伝えたメッセージは以下だった。

「あの真っ暗な夜に見えた星たちは、すごく明るくてとても綺麗でした。震災当時、何を頑張っていけばいいかもわからない状況で、沢山の方々に支えられたことを、ずっと忘れません」

「(被災地を訪問したことを踏まえ)皆さんが頑張っている姿を直接見られたことが、私の前に進む力になっています」

世界選手権は欠場

ちなみに、羽生選手は、右足首の怪我の治療を優先させるため、3月21~24日にイタリア・ミラノで開催される世界選手権には欠場が決まった。代わりに友野一希選手(19、同志社大)が出場する。

今のところ、羽生選手のアイスショーへの出演予定のメドも立っていない。

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