フィギュアスケート

町田樹氏、10月でプロ引退し大学教員として研究活動、2度目の引退の美学

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プロスケーターの町田樹氏は既に2018年10月6日のさいたまスーパーアリーナでのジャパン・オープンとカーニバル・オン・アイスでの演技をもって、プロスケーターを引退すると表明していたが、7月13日に都内で取材に応じ、引退後の目標やフィギュアスケートへの想いなどを語った。

2014年末に現役を電撃引退するまで、町田氏はその芸術性の高い演技に加え、「氷上の哲学者」と称される独特の言葉のセンスで多くのファンを魅了してきた。今回の町田氏の発言の全てがスポニチアネックスの記事に掲載されているから、町田ファンは是非参照されたい(全文はスポニチアネックスの2018年7月13日付「10月でプロ引退、町田樹さん会見全文『さようならは言いません』」を参照)。

以下は上記のスポニチアネックスの記事中の町田氏の発言から、筆者の独断で書き留めておきたいポイントを抜粋したものだ。

会見の前に、7月になって町田氏が小学校から高校時代まで住んでいた広島県と通った高校があった岡山県が豪雨による災害に見舞われていることを踏まえ、町田氏はお悔やみと心境を語った。「私自身も小学生から大学に進学するまで、広島市東区や安芸郡府中町に住んでおりました。連日、こうした親しみのある地域の惨状を目の当たりにすると本当に胸が痛む思いです」

4年間のプロスケーター生活を振り返る

町田氏は早稲田大学の大学院生の傍ら、プロスケーターを続けてきた。東京の乏しいスケートリンク事情を知っている者ならすぐピンとくるだろうが、現役選手でさえも練習の場の確保に苦労している中、プロスケーターの町田氏はさらに大変だったようだ。

町田氏はプロになってからの練習環境について語った。「株式会社プリンスホテル、それからこの東伏見アイスアリーナ、それからこの西武沿線にもう1つ東大和アイスアリーナ、その2つのスケートリンクがプロスケーター、実演家、振付家として私にとっては生命線でした」

「プリンスホテルさんのご厚意によって貸し切りを取らせていただいたりしたんですけど、それだけでは決して足りなかった。ここダイドードリンコアイスアリーナ専属の染矢慎二コーチを始め、ここに所属されているインストラクターの方々のご厚意で、若い選手たちのための貸し切りにプロスケーター私1人だけ、この4年間入れさせてもらっていたんです」

また、町田氏は「私も若いスケーターにとって、せんえつですけれども、模範となれるようにいつも毎時間毎時間、気を引き締めて練習していました」という気持ちで練習していたことを明かした。また、「振付家として実演家として楽しみながらプロ活動をこの4年間、積んできて今がある」とも語った。

慶大と法大でダンス講師を始める、目標は大学教員として研究活動を続けること

町田氏はプロとしての4年間で、フィギュアスケートは舞踊の1ジャンルと確信したという。「プロとして4年間、Atelier t.e.r.m(アトリエターム)という制作陣と歩んで参りましたけれども、この4年間で確信したことはフィギュアスケートという表現様式は舞踊の1ジャンルとして、確実に成立しうるという確信を得たということ。これを得たことによって、プロスケーターとしても晴れやかに引退することができると思っています」

「世の中には様々なダンスジャンルがありますけれども、その中の1つとして確実にフィギュアスケートが入る。なおかつ、フィギュアスケートでしかできない表現というものがある」

町田氏は既に2018年月から慶應義塾大学と法政大学で非常勤の体育のダンス講師を務めている。「実はこの4月から慶応義塾大学と法政大学で非常勤講師を務めていまして、このへんでキャリアを大学院生、あるいは非常勤講師としてのキャリアを一本に絞って頑張っていくべきではないかと考え、引退を決意しました。私の目標は大学教員として、研究活動を続けていくことです」

町田氏は氷上のパフォーマーとしては引退するが、フィギュアスケートとの縁が切れるわけではない。「今回も決してさようならは言いませんということです。パフォーマーとしては10月をもって完全に引退しますけれども、また大学院生として将来的には研究者としてフィギュアスケート界に貢献できることが必ずやあると信じています」「これからもパフォーマーとは別の形とは思うんですけど、フィギュアスケート界とはつながっていきたいと思いますし、力になっていきたいと思っております」

町田氏は、高校・大学の先輩でもあった高橋大輔氏が現役復帰することについて問われると、「経験豊富なベテランスケーターと一緒に競技会ができるということは、これから次世代を担うスケーターにとっては最大のチャンスだと思います」と述べた。

町田氏は、自身にとってフィギュアスケートとは何かを問われると、「今まで私にとってフィギュアスケートはアイデンティティーそのものだったと思います」と述べた。さらに、今後については、「例え研究者になったとしても、私の研究分野の1つは間違いなくアーティスティックスポーツですので、フィギュアスケートも入っているので、(中略)様々な形でフィギュアスケートと今後も真摯に全力で向き合っていきたいと思っております」と語った。

目標に向かって進みつつ、またしても引退の美学

高橋大輔氏はフィギュアスケートの外の世界に踏み出したものの特にやりたいことは見つからず、やり残したことがあるということで、フィギュアスケート競技生活に戻った。

しかし、町田氏の場合は、2014年末の衝撃的な引退発表の時から既に、現役引退後のセカンドキャリアに関心が移っていた。現役としてピークにあった時期にカッコよく引退したのも、町田氏ならではの美学だと思えた。早稲田の大学院に合格したことでスムーズに次のステップに進めたわけだが、当時筆者は、町田氏が大学院で学んだ後はどうなって行くのか、全く想像がつかなかった。

しかし、町田氏はプロスケーターとして人々の記憶に残るパフォーマンスをしてきたと同時に、セカンドキャリアに明確な目標を持ち、それを夢物語で終わらせず、慶応大や法政大でダンス講師の職に就いたことも含め、着実に自ら道を切り開き前進している。

なお、町田氏本人は言わなかったが、最後の作品となった「ボレロ」は超大作で、話題性も十分だったし、本人も今後年を重ねると体力的にもこれを演じることは難しくなるのは分かっていたのではないか。このタイミングでのプロ引退も、町田氏らしい美学の一環のような気がした。

Bon Voyage!

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